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On the Day Project 1st March / RUNIT dome

On the Day Project 1st March / RUNIT dome
a view of RUNIT Dome

2006/12/03

No.24 マーシャル・ルニットの遠くない将来

赤道に近いマーシャル諸島共和国は29の環礁と5つの島々で構成されている。
周囲をサンゴ礁に囲まれ大海の波から守られている島の海抜は1~2mである。
マーシャルに限らず、これら環礁の国々は温暖化による海面上昇の影響を強く受けている。サンゴ礁のバリアでは防ぎきれない波が島を洗う状況も起きているのだ。
観光地として有名なモルジブでも波に洗われたコテージの映像がニュースでも報道され、また被害が深刻なツバルでは、既に人間が住むに厳しい国土となり、国をあきらめ具体的な移住も計画される。・・国が消滅するという現実が目の前にある。

私たちが行ったマーシャル、エニウェトク環礁も同様である。・・・しかし、ここには残るものがある。

浄化作業後に植林された島の木は若く、背も低い。住まいもアメリカが残したコンクリート住宅だけが2階建てである。 土も木も家も、島の総てが見渡せる海と合わせるかのように海面に近い。その中で高さ7.5mの場所がある。それがルニットドーム。これはマーシャル、エニウェトク環礁の中で飛び抜けて海抜の高い場所である。 このままの状況が続くと、今世紀の遠くない将来、島は海水に覆われると予想される...その前に人間は住む事ができなくなる訳だが...。

絶対に来て欲しくない、そんな日をイメージすると...


相変わらず美しい海が広がる海域。

ここエニウェトク環礁のあった海域には、青い空と碧い海の境目に灰色のコンクリートドームが顔を出す。
このドームは、核実験で放射能で汚染された島の土やその他の核廃棄物が集められ、コンクリートが被せられた核廃棄施設である。
環礁に戻った住民でさえも立ち入り禁止のコンクリートドームだ。



20世紀、戦争の時代、核の時代、冷戦の時代、東西の時代、南北の時代。
対立する、均衡する力と盲信して進められた人間性を否定する核兵器開発競争。

そんな歴史を象徴する、人間の愚かさのモニュメントとして、危険立ち入り禁止のコンクリートドームだけが、21世紀の中央太平洋の海面から顔を出す・・・のだろうか。


もっともこの頃には日本の一部も水没するはずだが・・・

中ハシ克シゲのOn The Day Project 1st March/ RUNIT domeは、過去・現在・未来にわたって象徴的な、その場所の、その日その時を捉えたものだった。

No.23 オンザデイ・ルニット:第五福竜丸展示館



この展示館は東京都江東区の夢の島公園の中にある。公園には陸上トラックや体育館など運動施設や研修、合宿の施設はじめ熱帯植物園やマリーナやバーベキュー広場などのレジャー施設もある、ゴミの島:夢の島に作られた公園である。

特にシーズンの週末には多くの家族連れが公園を訪れ、マリーナに留められたヨットなどを眺めながらバーベキューを楽しんだ後、帰り道にある展示館に立ち寄る家族連れも多い。そして、何よりも年間通して多いのは、小中高の生徒、学生の見学が多い展示館だが、Collapsing Histories展の開催される時期は夏休み期間と重なっていた。



マリーナのある北側には広場がある。
 そこには久保山愛吉の最後の言葉を刻んだ石碑が建てられている。そして、この石碑の前に敷かれた小石には、来館者のさまざまな言葉が、さまざまなペンで書き込まれている。


誰がいつからはじめたのかは不明だが、小さな石の表面にここを訪れた個人の想いが書かれた大切なメッセージである。


On the Day ProjectやZero Projectなど、中ハシ克シゲの最近の作品は参加型のアートプロジェクトである。
そのコンセプトには、歴史の[つながり]や記憶の[連鎖]がある。



写真を繋ぐ作業には年齢も性別、そして職業も多様な人達が参加し、一つのテーマの元に多彩な経験や知識や記憶が交差し交流する。それによりテーマとその周辺の情報を共有しあおうと言うものだ。 写真を繋ぐ作業は、グリッドごとに行われる。グリッドとは36 枚撮りフィルム1本で撮影される領域である。

そのグリッドは東西に隣り合うグリッドの4つが繋がれ、3mほどの短冊状になる。そしてその短冊36本、合計144グリッドを繋いで行くと高さ(東西)3m、幅(南北)10m余りのルニットドームのコンクリート表面の日の出から日没までの12時間のフォトレリーフが出来上がる。

7秒の時間を記録したプリントを5000枚、合計12時間。夜明けから日没までの、その日その場所の7秒単位のモザイクである。


連続12時間という接写作業の結果は写真に現れている。目や手や足腰の疲れ、痛み、あるいは気力の移ろいなどによって、重ならない、重なり過ぎ、曲がり、あるいは画像が無い、などに現れる。そして太陽の動きと共に、赤道近くの真上の陽を受けてできた中ハシ自身の影も写し込まれていた。

そんな影や隙間や曲がりを残して完成した作品は、展示館の第五福竜丸船体横につくられた大きな壁に貼られた。

全体で見ると明け方から昼、そして夜へのグラデーションだが、部分では縄のれんのように線状の部分や欠けた不完全な部分もある。あの日あの時の彼自身の呼吸や鼓動が写された作品だ。
コンクリートドームの表面を連続的に切り取ったプリントを繋いで再現する、という作業を通して、被写体であるルニットドームはじめ、その作業を見守る第五福竜丸、そして核実験とその時代へと、写真の繋がりとともに、このプロジェクトに参加する個々の経験、体験や知識や歴史について話合われ繋がることが期待される。


記憶や歴史をつなぐ、このプロジェクトにはそんなコンセプトがある。写真を繋いで作品を創る事と共に、繋ぐ作業を通して、参加者の記憶や体験を繋ぎ合う。その交流、制作のプロセス:過程そのものも作品なのである。

No.22 オンザデイ・ルニットの背景:第五福竜丸50周年








2004年3月6日、マーシャルからの帰路グアムで一泊し、翌朝関空へ向かう中ハシと別れた。
それから4ヵ月、7月はじめ、東京・江東区夢の島公園にある第五福竜丸展示館では、Collapsing Histories展の会場準備が進んでいた。
彼と再会したのは、ここ第五福竜丸展示館。Collapsing Histories展の会期前だったが、すでに展示館ボランティアが中心になり、第五福竜丸の横でルニットドームを写した写真を繋ぐ作業が始まっていた。

その作業を見守る木造のマグロ漁船。ビキニ環礁での核実験の死の灰を浴びた第五福竜丸の事を少し話そう・・・・。


1954年3月1日、静岡県焼津港からマグロを追ってマーシャル諸島近海で操業していた第五福竜丸がビキニ環礁での史上最大の水爆実験「ブラボー」に遭遇した。
ヒロシマの千倍:15メガトン規模の爆発により実験域の珊瑚礁は粉砕され放射能とともに上空高く巻き上げられた。その粉末が指定危険海域を越えて雪のように降り落ちた。

・・・死の灰である。

その結果実験場の隣、避難指示の無かったロンゲラップ環礁の住民が被曝し、そして危険海域外でマグロを獲っていた第五福竜丸の乗組員26名全員も被曝した。


核実験、特に史上最大規模の水爆実験という米軍の最高機密に触れた彼らは危険を感じ、また放射能による健康被害の症状を抱えながら、一切の交信を断ち、ひっそりと焼津港に戻った。

日本では彼らの姿に騒然となり、新聞のスクープの末、ビキニ事件として公になった。そして通信士久保山愛吉は、入院闘病の末、急性原爆症で帰らぬ人となった。

ヒロシマ、ナガサキに続くビキニ事件での一般市民の核による犠牲は、世界に核と放射能の実態を知らせた。
そして、軍拡と核の拡大に警鐘を唱えた翌年の「ラッセル・アインシュタイン宣言」にも取り上げられ、世界的な反核平和運動のきっかけとなった。
久保山愛吉の残した「原水爆の被害者は私を最後にして欲しい・・」の言葉とともに。


このビキニ事件から13年、「はやぶさ丸」と名を替え東京水産大学の練習船として使われてきた第五福竜丸は廃船となり、夢の島に捨てられていた。
この船体を市民が発見し保存運動が湧き上がり、夢の島に修復展示されることになった。
現在は都の公園となった江東区夢の島公園の一角につくられた展示館で第五福竜丸は保存展示されている。


2004年、アーロン・カーナーのキュレーションによる歴史とその継承をテーマにしたCollapsing Histories(崩れゆく歴史)展は、この第五福竜丸が体験した核軍拡時代の象徴であるビキニ事件から50周年を記念して開催された。
そして中ハシ克シゲのOn The Day Project 1st March/RUNITは、戦争と核の時代:20世紀を象徴する核実験の遺物をテーマに、その歴史に向き合う参加型のアートプロジェクトだった。

No.21 マジュロに戻って


一週間前にエニウエトクにやって来たのと同じマーシャル航空の同じ飛行機DASH-8と同じCAとで、マジュロに戻った。 そして、次の便までの時間を利用して、ルニット行きでお世話になったニウェトクの自治体事務所へ挨拶と報告に行く。


エニウェトクの自治体事務所では持って行ったノートパソコンで撮影したドームでのデジカメ画像をスライドショウで見せたが、興味深くスクリーンを見つめる彼らを横から観察したが、恐らくこの中の誰も経験していない事を我々は体験したのだろうと思った。 第五福竜丸被曝50年記念バナーとともに記念撮影する。



ホテルにはラグーンに面したコテージがあった。マジュロのラグーン同様に静かな内海である。しかし表面は平らで静かな透明の美しい海だが、近年、生活からの廃棄の増加によって汚染が見られるようになったと話を聞く。

コテージの沖100メートルほどに、30フィート以上あると思われる白いセイリングクルーザーが留まっている。若者たち二人は汚されはじめていると言っても透明なラグーンの海に飛び込み、泳いでその船を訪ね、そして世界を旅する海の男から歓待を受けて帰ってきた。

マジュロ環礁のマジュロ島はマーシャル諸島共和国の首都である。特に大きい訳でないが、この島にはこの国の人口の半分の人々が暮らしている。

島のメインストリートはしっかり舗装された二車線道路。一本道のこの道路が島の幹線だ。この国の総てが、この道路沿いに集まっている。広いアプローチを持つガラス張りのモダンな国会議事堂、国立博物館、図書館、裁判所、教会に併設された学校など、公共の総てがこの道路沿いに並んで建っていた。


博物館と並ぶ図書館を覗くと制服だろうか、同じブルーのポロシャツを着た学生たちが勉強をしていた。中学生のようだ。彼らにバナーを持ってもらい、記念撮影をする。また、快くOKと言ってくれた女性職員にも持ってもらい記念撮影をした。

われわれは徒歩で歩き回ったが、歩行者とすれ違う事が少なかった。この狭い島の中の移動にも、ほとんどが車を使うようだ。もしかして、マーシャル、マジュロは日本以上の車社会なのかも知れない。



車相手に道端で焼肉ランチを売るテントがあった。

ランチを買いオーシャンサイドにランチ場所を探しに歩くが、突然の雨で大きな木陰に雨宿りする。すると近くの家から手招きで軒下に呼んでくれた。



間もなく雨も上がり、強い日差しが戻り、木陰でランチする。子供たちも家から出てきた。

木の根元を見ると太い根がコンクリートを抱きかかえていた。核実験場エニウェトクには見られなかった歴史を見てきた古木だ!。 道路から離れたその奥にマーシャルの生活があった。

Photo and Text by nnogci