1954年3月1日第五福竜丸が被爆したビキニ事件から50年目のその日2004年3月1日、アメリカ核実験場に住民が戻るために削り取った土や核廃棄物を閉じ込めたコンクリートドーム上で行った中ハシ克シゲ「On The Day 1st March/RUNIT dome」の取材活動の記録. ・・・フクシマの未来か?!・・・by nnogci
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On the Day Project 1st March / RUNIT dome
2006/11/01
No.11 エニウェトク散歩-2
島の中央、外洋側:オーシャンサイドにENEWETAK Elementary Schoolがある。 白い校舎のバックは青い空、蒼い海、南の国のコントラストだ!。
授業が終わった午後、出かけると、物珍しさからか・・・取り囲まれる。
ビデオカメラを向けると液晶モニターを覗く子供、レンズの前に立ちパフォーマンスをはじ める子供、その順番を待つ子供、カメラ側で喝采する子供・・・一挙に子供の世界が出来上がる。
上級生の子供には拙い英語で質問を投げると、しっかりした英語で返事を、そして自分や家族の事を話しはじめる。
核実験が始まる前、ウジェラン環礁へ移住した話、そしてかつて日本統治下で教育を受けたお爺さんは日本語を話す・・など、自分たちの歴史もしっかりと学んでいるようである。
日本語を話すお爺さんを紹介してくれると言うので出かける。
メインストリートを南に歩くこと10分ほど、木立に囲まれた庭でくつろぐ家族がいた。
お爺さんは90歳ぐらい?!だとすると30歳ぐらいで太平洋戦争を体験。それまでは日本統治下の社会で育ってきたはずだ。もしかしたらドイツ時代も記憶しているかも・・・。
だが残念ながら耳が遠くなっていて、コミュニケーションがなかなか取れない。 彼は米軍に撃たれたのだと、足首の傷跡を見せる。日本統治下で仕事は何をしていたのだろうか?(日本占領・委任統治:1914-1944、1944米軍占領、1947から米信託統治、1948から核実験)
日本統治の社会で育った彼には、銃で撃たれ、核実験のため強制移住させられたアメリカよりも日本との歴史が懐かしいのだろうか?。日本からやってきた我々への気遣いなのかも知れないが・・・、日本へは好印象を持っているようだ。
日本人にとっては嬉しいが、彼が青春の20-30`s、日本が近かったそこが彼の故郷なのかも知れない。
文化と文明の交差点を彼に見た。
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