南北に長さ4km、幅100mほどの島。到着した日、南端の滑走路からの一本道を走るトラックの荷台からは、古い二階建てのオール(屋根まで)コンクリート住宅が建っているのが見えた。数えていないが、相当数あるようだ。
おそらく米軍の実験関係者の住宅だったのだろう、中には廃墟もあるが今でも住まいに使われているものもある。
家々の前には必ず「Agricalture」と書かれた農業用の雨水容器が置かれ、島の水事情が推察できる。
散歩で歩く道では、島の人達と顔を合わすと、例外なく皆が手を上げて挨拶する。
3~40分も歩くと到着した滑走路に着くが、いつの間にか好奇心旺盛な少年が我々と一緒に歩いていた。この島のコミュニティでは日本人がやって来ているのは、子供たちにも周知のようだ。
島には坂道など無い、あるとしたら海へのスロープぐらいで全く平ら!。海抜は2mもない。建物でも二階建て以上は米軍の残したコンクリート住宅や使われていない貯蔵タンク、そして教会ぐらい、その他は平屋である。
学校から少し南に歩くと林の中に大きな三角形があった。大きな屋根だけを置いたような建物の残骸である。どうやら教会のようだった。
今の教会が建つ前に使われていたもののようだが、しっかりしたコンクリートの基礎の上に太い屋根材が風雨にさらされ朽ちていた。島を歩くと至る所に鉄筋コンクリートの残骸が残っている。特に海岸に多く残されているが、オーシャンサイドの浜に埋もれた黒くなったコンクリートと砂とのコントラストは、不気味で不釣合いだ。どの時代の遺物なのだろうか?こんな所でもこの国の歴史を感じさせる。
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