
島の中央、外洋側:オーシャンサイドにENEWETAK Elementary Schoolがある。 白い校舎のバックは青い空、蒼い海、南の国のコントラストだ!。
授業が終わった午後、出かけると、物珍しさからか・・・取り囲まれる。

上級生の子供には拙い英語で質問を投げると、しっかりした英語で返事を、そして自分や家族の事を話しはじめる。
核実験が始まる前、ウジェラン環礁へ移住した話、そしてかつて日本統治下で教育を受けたお爺さんは日本語を話す・・など、自分たちの歴史もしっかりと学んでいるようである。

メインストリートを南に歩くこと10分ほど、木立に囲まれた庭でくつろぐ家族がいた。
お爺さんは90歳ぐらい?!だとすると30歳ぐらいで太平洋戦争を体験。それまでは日本統治下の社会で育ってきたはずだ。もしかしたらドイツ時代も記憶しているかも・・・。
だが残念ながら耳が遠くなっていて、コミュニケーションがなかなか取れない。 彼は米軍に撃たれたのだと、足首の傷跡を見せる。日本統治下で仕事は何をしていたのだろうか?(日本占領・委任統治:1914-1944、1944米軍占領、1947から米信託統治、1948から核実験)
日本統治の社会で育った彼には、銃で撃たれ、核実験のため強制移住させられたアメリカよりも日本との歴史が懐かしいのだろうか?。日本からやってきた我々への気遣いなのかも知れないが・・・、日本へは好印象を持っているようだ。

文化と文明の交差点を彼に見た。
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