PulldownContents プルダウン

On the Day Project 1st March / RUNIT dome

On the Day Project 1st March / RUNIT dome
a view of RUNIT Dome

2006/10/29

No.4 マーシャル諸島の首都マジュロにて-1

環礁の内海をラグーン(Lagoon)と呼ぶ。穏やかで美しい海である。 マジュロのラグーンはプライベートで世界を巡る途中立ち寄ったクルーザーや、商業船や漁船など世界中から船が立ち寄る南太平洋の港である。

ビキニディ間近い2月末、偶然にも日本の漁船がマジュロの港に入っていた。
100tのマグロ漁船、和歌山から来た「第一祐漁丸」である。
マーシャル近海でマグロ漁をしていたがエンジントラブルで修理のため寄港して、日本からもエンジニアが合流し、たまたまレストランで居合わせた日本人が彼らだった。
奇遇にも第五福竜丸も100tのマグロ漁船、そして建造されたのは和歌山だった。

翌日港に行くと停泊していた船体は木造の第五福竜丸とは違い近代的な白塗りの鋼鉄製で、我々を歓待してくれた。
レストランで居合わせた漁労長が船内を案内してくれ、久しぶりのマグロの刺身とご飯、そして味噌汁をご馳走してくれた後、ダイニングで第五福竜丸の話に弾んだ。
船長はじめ30代の彼も第五福竜丸事件を知っていて、我々の目的に興味を示してくれた。

第五福竜丸との違いは鋼鉄製や装備が近代的であるだけでなく、乗組員は23人の日本人ではなく、船長や漁労長、通信長など5名の日本人の他はフィリピン人の乗組員で、合わせて15名であることだ。

そして類似・共通点は戦後の復興期と同じく現在もマーシャル近海でマグロ漁をしていることだが、母船式の漁のため、故障・修理以外では港に入ることは無いという。

第五福竜丸は単独で焼津を出てマグロを追いマーシャルにやって来て被曝したのだが、祐漁丸と比べると、展示館で見る板張りの第五福竜丸が太平洋を渡り漁を続けたのは驚きである。

もちろん時代の違いはあるが・・・ 少ない漁獲と水爆実験に遭遇し被曝した彼らの日本までの帰路は、長くつらい航海だっただろう。

1 件のコメント:

dead sea princess さんのコメント...

HI,MABY U CAN HELP ME??

Photo and Text by nnogci