1954年3月1日第五福竜丸が被爆したビキニ事件から50年目のその日2004年3月1日、アメリカ核実験場に住民が戻るために削り取った土や核廃棄物を閉じ込めたコンクリートドーム上で行った中ハシ克シゲ「On The Day 1st March/RUNIT dome」の取材活動の記録. ・・・フクシマの未来か?!・・・by nnogci
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On the Day Project 1st March / RUNIT dome
2006/10/30
No.8 エア・マーシャルでエニウェトク環礁へ
目的地エニウェトクに近づくと雲が下がって来た。
滑走路へのアプローチは雨の中だったが、着陸すると雨は上がり青空が現れた。
迎えはトラック。まとめて荷物を人と共に荷台に乗せ一本道を北上してゆく。
2~3キロだろうか、途中幾つか荷物を降ろした後、島の北の外れに止まった。そこは、アメリカエネルギー省DOE(Department Of Energy)の古い施設で、コンテナのようなダイニングや宿泊施設の建物が並んでいた。
この旅は、その始まりから私に一つの不安を抱かせて来たが、ここでもそれが現実となった。
部屋は3つ。そのうち一つはバスルームが無かった。
さあ「平等にジャンケンを」と・・戦ったが、やはり結果は不安どおり・・・
こんなにジャンケンが弱かったとは・・・
日本式に言うと:6畳間、ベッド一つの部屋に・・・冷酷な結果となった。
こんなに暖かい南の島で、風邪の鼻水を流しながら、その晩はティッシュの箱を抱えて寝た。
ここ北部はエニウェトクの中枢で、ディーゼル発電所があり、その建物の中には現地の行政事務所のような部屋もあり、ピクニックの島での伝統的な島のコミュニティの歓談の写真が壁に飾ってあった。
この付近の島の幅は100mもなく、外海も内海も眺める事ができた。外海には珊瑚の浅い海が続き、その先でコバルト色の海が白く砕けている。
海は穏やかなブルーのグラデーションと白い砂浜、少し沖にはボートが浮かび、その発着のために桟橋とコンクリートのスロープがあった。
・・・ここが、ルニットへ向かうベースだ。
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