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On the Day Project 1st March / RUNIT dome

On the Day Project 1st March / RUNIT dome
a view of RUNIT Dome

2006/10/29

No.3 マーシャル、ビキニ自治体事務所にて


2004年、日本ではまだ冬の2月22日、年間平均気温27度の南の国へ美術家:中ハシ克シゲとともに、50周年を迎えるブラボー:ビキニディを捉えるOn the Day作品づくりのためにマーシャルを訪れた。


マーシャルには、その国名よりも知られている名がある。それは戦後の新しい世界を象徴するようにショッキングなデザインで登場した水着に付けられた「ビキニ」という名だ。
太陽、青い空、碧い海、白い砂、そして女性を連想させる「ビキニ」とは、この国の北西部にある環礁の名である。そしてそれは核の時代20世紀を象徴する衝撃的な原水爆実験が行われた地の名前である。


第二次大戦後、この国を統治するアメリカはマーシャルの北西部にある二つの環礁を核実験場として合計67回の大気圏内核実験を行った。
中でも1954 年3月1 日、ここビキニでヒロシマの1000倍規模の史上最大15メガトンの水爆実験:「ブラボー」が行われ、マーシャルの住民はじめ多くの漁船と漁獲、そして焼津のマグロ漁船第五福竜丸の乗組員23 名が被曝するという大きな被害を与えた(ビキニ事件)。

ビキニ環礁の東隣、ロンゲラップ環礁の住民たちは実験の避難指示がないまま第五福竜丸と同じくブラボー実験で被曝した。その後避難し安全宣言の後に帰島したが、残留放射能によって、また二重三重の被害を受け、そして、いまだ帰島できていない。これらによってアメリカの人体実験疑惑も浮かんでいる。
抗議活動の中心だったロンゲラップ村長ジョン・アンジャイン氏は、被曝により息子を亡くし、また自身も島に帰ることなく2004年7月20日、81歳で亡くなられた。

首都マジュロにあるビキニの自治体事務所を訪れると、人々が集まる1Fホールの壁に何枚もの核実験関連の絵が掛けられていた。
ベンチに座り親指を立てて迎えてくれる初老の彼らの後ろの合板に描かれた絵(ポスター)には「Everything is in GOD's hands. One Nuclear bomb can ruin your whole day.」と書かれていた。「すべては神の手に!一つの核爆弾はあなたのすべての日々を破壊する!」。

ブラボー実験から50年、マーシャルでは、今も放射能汚染を「ポイズン」と呼び、忌み嫌っている。見えない、そして隠され続けて来た核汚染被害へのやり切れない怒りと苦しみの言葉である。

いまだ帰島できないビキニ・ロンゲラップ環礁とは違い二つの実験場の一つ、エニウェトク環礁では、1977 年から浄化作業が行われ、1979年9月に作業終了後、翌1980 年に住民の帰島がなされていた。住民帰島がなされた実験場、そこが私たちの目的地だった。

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Photo and Text by nnogci